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名古屋高等裁判所 昭和23年(控)2047号 判決

控訴人 検察官

被告人 可兒昭次 外五名

主文

被告人可兒昭次、同奥村昭次、同水野光夫、同今井重儀、同久田弘、同赤嶺正春を孰れも懲役四月に処する。

但し、右被告人六名とも、本裁判確定の日から、参年間、右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、全部被告人六名の連帯負担とする。

理由

被告人可兒昭次は、昭和十九年五月一日岐阜電氣通信工事局多治見出張所の臨時機械工員となり、昭和二十二年二月二十八日技術員を命ぜられ、電話機、交換機等の保守修理等の業務に従事して居た公務員であり

被告人奥村昭次は、昭和十七年四月十六日臨時線路工員として一宮工務出張所多治見臨時駐在(現在は岐阜電氣通信工事局多治見出張所)を命ぜられ、昭和十七年八月一日線路工員見習、昭和十八年一月二十一日線路工員となり、昭和二十二年二月二十八日技術員と改称され、爾来外電線等の保守修理等の業務に従事して居た公務員であり

被告人水野光夫は、昭和二十年四月二日岐阜電氣通信工事局多治見出張所勤務の線路工員となり、昭和二十三年二月二十八日技術員と改称され、爾来外電線等の保守修理等の業務に従事して居た公務員であり

被告人今井重儀は、昭和二十年四月二日岐阜電氣通信工事局多治見出張所勤務の線路工員となり、昭和二十二年二月八日技術員と改称され爾来外電線等の保守修理等の業務に従事して居た公務員であり

被告人久田弘は、昭和二十一年八月三十日岐阜電気通信工事局多治見出張所の機械工員となり、昭和二十二年二月二十七日技術員と改称され、爾来電話機、交換機等の保守修理等の業務に従事して居た公務員であり

被告人赤嶺正春は、昭和二十年三月十六日岐阜電気通信工事局多治見出張所の臨時機械工員となり、昭和二十二年三月二十八日技術員と改称され、爾来電話機、交換機等の保守修理等の業務に従事して居た公務員であつ何れも昭和二十一年三月十七日(但し被告人久田弘は、昭和二十一年八月三十一日)から全逓労働組合岐阜工事局支部多治見協議会青年部員として、その労働組合労働運動に従事して来た者であつたが、昭和二十三年七月三十一日政令第二百一号が制定公布され、公務員の団体交渉権及び同盟罷業権が剥奪されるや、右政令は憲法並にポツダム宣言に違反する無効のものであると主張し、これが反対闘争を起したが、政府は、これを有効とし、更に同趣旨の規定を設くべく国家公務員法の改正を企図していたので、これが反対闘争を強力に展開し公務員の団体交渉権及び同盟罷業権を獲得擁護せんため、同年九月三日午後四時頃から、前記多治見出張所内に於て、青年部員大会を開催して、右闘争のための争議手段として、職場を離脱して、各地の労働者に呼びかけようと協議共謀し

被告人奥村昭次、同水野光夫、同今井重儀、同久田弘、同赤嶺正春は青年部員今井富士夫外四名と共に、昭和二十三年九月三日午後八時五分項第一陣となり、被告人可兒昭次は、同青年部員渡辺慶次郎外三名と共に、同年九月四日午後五時三十分頃第二陣となり、何れも監督者たる前記多治見出張所長服部舜造の許可を受けないで岐阜市その他に向つて出発して、右職場を放棄し、同年九月八日免職されるまで職場を離れ、前記業務の運営能率を阻害する争議手段をとつたものである。

証拠を案ずるに、判示事実は

一、各被告人の当公廷に於ける、業務の運営能率を阻害した点を除き、各関係部分に付、判示同旨の各供述

一、被告人今井重儀に対する司法警察官の訊問調書中、昭和二十三年九月三日午後四時から青年部の会合があることになつていたので、判示多治見出張所の二階に行くと、午後四時半頃までに、青年部員二十数名の中、十七、八名が参集しました。そこで議長渡辺慶次郎が開会の挨拶を述べ、今井富士夫が全逓労働組合代表者会議に出席した報告をしてから、皆で、所長に対し、職場闘争をすることを相談しました。その後、その席上に共産党の人と二十才前後と三十才前後の人が来て、右三十才前後の人が私等に対し、自分は北海道の国鉄から職場放棄をして来た者であるが、職場放棄後の食糧、宿舎、資金のことを話し、北海道の情勢は、多数の者が職場を放棄したので、汽車は、一日に一本か二本しか動いて居ないことや、国家公務員法が改悪されると、国鉄や全逓の公務員である労働者は、全部奴隷化されてしまうから、われわれは、これを防ぐため、立ち上つたので、君達も後に続け、君達が立ち上つた後は、食糧、宿舎、資金等は、心配はいらない、是非立ち上れと話して出て行きました。右三人が出て行くと、今井富士夫が俺達もやるぞと大きく叫び、他の青年部員もがやがや云い出して職場放棄をすると云い出し、次々に今井富士夫のところに申し出ました。そして私もこれに賛成し、判示日時岐阜方面に向いましたとの旨の供述記載

被告人久田弘に対する司法警察官の訊問調書中、私は、職場放棄をすれば、法律に違反し、処罰されることはよく知つて居りました昭和二十三年九月三日の青年部大会の際にも、岐阜本局の都築さんが職場放棄は、違反であるが、今労働者が立つて反対運動をやれば労働法規の改悪を撤回させることができて、結局に於て、違反ではなくなると云われたのを聞いて、それならと思つて職場を放棄しました。九月三日は、出勤日で丁度宿直当番に当つて居りましたので青年部大会には、最初から出席することができませんでしたが、午後七時二十分頃出席すると、青年部員約十五、六名が居り、岐阜本局の都築さんと国鉄の同志二名と外一名が来て居て、何か話をして、間もなく出て行きましたが、私が出席したときは、青年部長渡辺慶次郎と今井富士夫が職場放棄する者の名前を紙に書いて居りました右のように、私は青年部大会の模様を詳しく知りませんが、以前から国家公務員法が改正されると、労働者の団体交渉権も罷業権も取り上げられて、奴隷のようになつてしまうことを聞いて居りましたので、職場闘争をやりながら、公務員法の改悪反対運動をしようと云う気持は常に持つて居りましたから、青年部大会の席に出ると俺も俺もと云つて職場放棄に参加して居りましたので、私も参加することになり、同日午後七時四十分頃、都築さんの案内で、多治見出張所の裏口から出て行き、午後八時五分多治見発の汽車で名古屋に出て、それから岐阜に向いましたとの旨の供述記載

一、証人服部舜造の当公廷に於ける、私は岐阜電気通信工事局多治見出張所長でありますが、被告人等は、右出張所に勤務して居たものであり、可兒昭次、久田弘、赤嶺正春は、機械係で、主として機械の修理をして居り、他の水野光夫、奥村昭次、今井重儀は、線路係で線路の補修並に建設の仕事をして居りましたが、何れも昭和二十三年九月八日頃免官になりました。私は、右被告人等の直接の監督官でありましたが、被告人等は、私の許可なくして、何れも、判示日時多治見を出発して、岐阜方面に向い、職場を離れました。被告人等が職場を離れたので、後に残つた連中が良く働き、直接一般大衆に対しては不便を與えたことはありませんが、建設の方面に於ては計画通りより少し遅れたことは事実であります。又職場を離れた人に復帰して貰うため、所員が岐阜方面に行きましたので、仕事が遅れました。右多治見出張所詰の所員は、当時は約四十名位でありましたので、職場離脱があつた九月三日から八日までの間、中津、土岐津、瑞波の各駐在所から応援を求めましたとの旨の供述。

一、証人竹村善吉の当公廷に於ける、私は昭和二十年十月十二日から逓信技官として多治見出張所に勤めて、主として外線工事を担当し、工事監督、部下の現場手配等をして居りました。被告人等の中、奥村、水野、今井は外線工事をして居りました。右被告人等が職場を離れたため、仕事の能率が悪くなり、残つた職員が余分に努力したり、他の方面からの応援により、仕事の面に於ては、阻害を受けなかつたと思います。仕事の中延せるものは延ばし、急速を要する方面に応援したのでありますとの旨の供述

一、証人橋本武輔の当公廷における、私は昭和二十三年一月一日逓信技官となり、多治見出張所に勤め、機械係の現場主任をして居りました。被告人等の中、可児、久田、赤嶺は、私の下で働いて居りました。機械係は機械の修繕をするので、現場に行つて仕事をすることもありますが、出張所の中で仕事をすることもあります。被告人等が職場離脱しましたが、後に残つた者が非常によく働き、仕事の面には阻害されませんでしたとの旨の供述

一、服部舜造に対する司法警察官聴取書謄本中、昭和二十二年九月三日の夕方十人、翌四日五人の多治見出張所員が職場を離脱したため、出張所の仕事の上に於て、支障を生じて居りますので、その事について申上げます。出張所は全員で私以下八十四名で、この中多治見出張所詰は四十名位で、残りは、管内各駐在所に夫々詰めて居ります。多治見出張所詰には、機械、線路、事務の三つの職場に区分され、機械は十七名、線路は十八名、事務は七名位になつて居りました。職場離脱した十五名は、機械から六名、線路から九名であります。このため、現業の方で仕事が差支えたのは(一)定期巡回ができなくなつたこと(二)多治見市内新富町及び上町方面のケーブル工事が予定より遅れたこと同市内大日町のケーブル工事の見透しがつかなくなつたこと(三)各駐在所から持つて来る電話機やコード等の修理が遅延するようになつたことであります。定期巡回は、毎月延べ十五六日位になりますが、現在の人員では、これが出来なくなるのであります。ケーブル工事については、緊急工事でないので、漸次進めればよいから、大した痛手ではありませんが、計画が狂つてくるのは事実であります。一番困るのは(三)の機械修理でありまして、市内の分を修理して余つた時間や余力の範囲内で他の分をやつて行かねばならないのであります。何れにしても、機械、線路共に夫々半数の人員が減じたので、何かの面に於て影響があつたことは相違ありません。十五名の者が出て行つた後は、機械の方は残りの十一人で超過勤務等してどうにか業務を運営して居りますとの旨の供述記載

一、竹村善吉に対する司法警察官聴取書謄本中、私は判示多治見出張所の現場技官ですが、昭和二十三年九月三日、四日に十五名が職場離脱して、私の受持つて居る線路係の中でも、青年部ばかりで七名が職場を離れ、仕事の上で相当に困つて居ります。私の受持つて居る線路係に於ては、私以下十七名居りますが、その中倉庫係が二名居ります。線路係としては、外線及び完線工事並に電話新設工事を受持つて居り十七名居ても仲々忙しく、良くやつて行くと云う位でした。最近では新設工事も多くなり、雷による外線故障も多いため、手が廻りかねて居たところ、今回七人の者が居なくなり、故障の修理の申込があつてもすぐ修理に行くことができかねることもあり一般の皆様に迷惑をかけて居ることと思います。新設工事も多く工事を始めて居る所は、駐在所員の応援で仕事は進めて居りますが、全員出勤しても仕事が忙しいのに、今日ではとても手が廻らず巡回する線路も巡回できないような状態ですとの旨の供述記載

一、橋本武輔に対する司法警察官聴取書謄本中、私は、判示多治見出張所に勤めて居りますが、私の仕事は、機械の試験及び修繕をするのでありまして、私はその主任の地位にあります。試験係五人、修繕係十一人でありますが、多治見出張所から判示九月三日四日に十五人が職場離脱しましたので、建設工事をやつて居たところは、他の駐在所員を召集して応援させている始末で、その方面には、相当影響があるのではないかと思います。私の係の方では、赤嶺正春、可兒昭次、久田弘、外三名が職場を離れ、多治見局の交換台の修理については余り影響はありませんが、他の町村にある局の修繕には、影響があります。小さな電話機は、直接私の方に送つて来ますが、その修繕も怠ることがあります。現在のところ、残留者が仕事を負担してやつて居りますが長くなると疲れて来ますので、仕事ができなくなることになりますとの旨の供述記載

を綜合して、これを認め得るから、判示事実は、その証明十分である。

被告人等及び弁護人は、本件公訴の根拠となつた政令第二〇一号は、憲法その他の法令に違反する無効のものであると主張するから、この点について判断する。

政令第二〇一号は、昭和二十年九月二十日勅令第五四二号ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(以下ポツダム勅令と略称する)に基き、発せられたもので、ポツダム勅令が旧憲法下に於ては勿論、新憲法下に於ても、法律と同一の効力を有する有効な命令であることは、曩に最高裁判所の判決(昭和二十三年六月二十三日大法廷判決)の示すところである。即ちポツダム勅令は、旧憲法第八條に基いて発せられた所謂緊急勅令で、この勅令は、わが国がポツダム宣言を受諾して、同宣言に定むる諸條項を誠実に履行すべき義務を負い、且つ降伏文書に調印して、同文書の定むる降伏條項を実施するため適当と認むる措置をとる連合国最高司令官の発する命令を履行するに必要な緊急処置として制定せられたもので、降伏條項の実施は、廣汎の範囲に亘り、その実施に関する連合国最高司令官の要求は、その時期と内容を予測することができないものであつてしかもその要求があれば、迅速且つ誠実にこれを履行することを要するために、急速に所要の法規を設けることが要請せられ、到底いちいち議会の協賛を経る手続をとることは不可能である。ここに於て、政府は、この緊急の必要に応ず緊急勅令を制定し、これに基く勅令、閣令、省令によつて、従前の法律命令の改廃、新法令の制定を行うこととしたのである。緊急勅令が命令に委任した立法の範囲は、廣汎である。しかし降伏條項の誠実な実施は、ポツダム宣言の受諾及び降伏文書の調印に伴う必然の義務であり、その実施が廣汎で且つ迅速を要することを考慮するときは、緊急勅令が委任立法の範囲を「ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ連合国最高司令官ノ爲ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル爲必要アル場合」と定めたことは、やむを得ないところであつて、かかる委任の方法を目して、旧憲法第八條に違反する無効のものであると云うことはできない。而して右緊急勅令は、議会に提出されて、昭和二十年十二月八日貴族院に於て、同月十八日衆議院に於て、夫々承諾され、その後は旧憲法上法律と同一の効力を有することとなつたのである。そして旧憲法上の法律は、その内容が新憲法の條規に反しない限り新憲法の施行と同時にその効力を失うものでなく、なお法律としての効力を有するものである。このことは新憲法第九八條の規定によつても窺い知り得るところである。

次に昭和二十二年四月十七日法律第七二号日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律(以下昭和二十二年法律第七二号と略称する)の第一條に於て、日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で法律を以て規定すべき事項を規定するものは、昭和二十二年十二月三十一日まで法律と同一の効力を有するものとすると規定しているが、ポツダム勅令並にこれに基き発せられた命令は、右の法律によつて失効することになつている命令の中に包含されないものと解すべきであつて、このことは、昭和二十二年十二月二十九日法律第二四四号の第一條の二に於て、ポツダム勅令に基いて発せられた命令の効力は、昭和二十三年五月二日まで延長されるものでなく、将来これが廃止あるまで確定的に効力がある旨規定していることから当然に推測し得るところである。昭和二十二年法律第二四四号は、ポツダム勅令に基いて発せられた命令の効力に関して規定しただけで、ポツダム勅令そのものには何も触れていないから、右法律によつてポツダム勅令の効力を論ずることはできない旨被告人等及弁護人は主張するが、ポツダム勅令そのものが失効して居るのに、この勅令に基いて発せられた命令のみが独り効力ある旨を規定することは、それ自体論理上矛盾を来すので、右法律でかかることを規定する筈がなく、右法律第一條の二は、ポツダム勅令そのものが有効であることを前提として、右勅令に基いて発せられた命令が有効である旨注意的に規定したものと解釈せねばならない。

よつて進んで、政令第二〇一号がポツダム勅令に規定する要件に欠くことがなく、新憲法第二八條に違反しないことを明かにするであろう。ポツダム勅令に基いて政令その他の命令を制定するには、同勅令に規定するように連合国最高司令官の爲す要求に係る事項を実施するため、特に必要な場合でなければならないが、連合国最高司令官の要求は、特別に一定の形式を以て爲されることを要件としているものでなく、命令、指令、覚書等の形式を用いていることが通常であるが、同司令官の表示した意思の解釈によつて要求であるか否かを定めるべきである。

而して要求か否かの最終的有権的解釈権は、わが国の国家機関又は労働者にあるわけでなく、同司令官に専属するものであつて、政令第二〇一号を制定するに当り、政府は、同司令官の要求に基くものであるか否かを確めた上、制定したもので、このことは、昭和二十三年八月三日渉外局特別発表を以て公表された総司令部民政局公務員制度課長フーヴアー氏の談話要旨によつて明かである。それによると「日本政府とその使用者との間に急速に悪化している情勢の下において一種の秩序を回復するためマ元帥はやむなく仲裁に入らなければならなかつた、政府使用者は、八月七日を期してストライキを宣言したがかかるストライキは、日本の困窮した現状にあつては、国民の大多数に飢餓と災害とをもたらさずにはおかないものがある。七月二十二日マ元帥が芦田首相にあてた書簡にみえる意図とこれに基いて公布された政令は、政府と公務員との関係を完全に米国の政策と慣行とに一致させることを目的としたものである」とあることにより、マ書簡が要求であることが明かで、極東委員会のシーボルト議長の発言は、勧告と云う語が使用されているが、その発言の全趣旨を精読すれば、却つてマ書簡は要求であつて、政令第二〇一号が右要求に基き制定されたものであることが裏付けられる。而して、政令第二〇一号制定当時に於ては、全官公の八・七ストライキによる国民大衆の飢餓と災害とを防止することが緊急の問題となつていたので、国会の審議を経る余裕がなく、ポツダム勅令に所謂特に必要ある場合の要件に該当していたのである。

次に、マ書簡に於ては、公務員について、現業非現業の区別を認めているが、この明確な区別は、それ等の政府事業が、マ書簡の所謂公共企業体に組織された後に採用されるべきであつて、それまでは、暫定的措置として、従来通り、それ等の政府事業に従事する者に対し、一般の公務員と同様の取扱をすることはやむを得ないところであると解される。政令第二〇一号は、改正公務員法、公共企業体に関する各種の法律が成立するまでの暫定措置であるから、現業員たる公務員については、マ書簡は要求たる性質を帯びないと論ずることはできない。而して憲法第二八條が勤労者の罷業権、団体交渉権、争議権を保障し公務員が同條の勤労者に包含されることは疑のないところであるが、右の権利は絶対無制限の権利であると断定することはできない。この権利は、身体、思想良心、学問、信教の自由等の所謂天賦の基本的人権が、国家の干渉から自由であるのに反して、憲法第二五條の最底の文化的生活を営む権利、同第二六條の教育を受ける権利と同様所謂社会的人権として、国家を前提として、これに依存するものであるから国家の存立を危くしたり又は国家目的に反するような程度のものまで認めることはできない。それ故、国民大多数の共通の利益としての公共の福祉に反してまで、絶対無制限にその権利を主張することができないのである。特に公務員は、国家機関の構成者で、国民全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者であつてはならない。マ書簡の一節に「国民は、その利益と福祉との間に政府活動のうちに秩序と脈絡が維持せられることを要求する。公務員の上には、この国民全体に奉仕する義務が負わされている。これは最高の義務である。彼等自身の職務が政府の機能に関するものである以上、公務員の争議行為は彼等自身に於て要求が満足せられるまでは、政府の運営を妨害する意図あることを明かにするものに外ならない。自ら支持を誓つた政府を麻痺せしめんと企図するこのような行為は想像し得ないものであると同時に許し得ないものである」とあるのはこのことを明確に表明しているものである。公務員は、全体の奉仕者として、国民の一部に過ぎない労働組合や公務員のためにのみ行動することは許されないところであつて、公共の信託に対し、国民大衆のため無條件の忠誠の義務を負うものである。その争議行為は、公共の福祉に違反し、憲法の規定する公務員の基本的な性格に反するものである。それ故、国民大衆が要求する公共の福祉によつて、憲法第二八條の規定する公務員の団体交渉権、争議権等を制限することは許さるべきことであると云わねばならない。

従つて政令第二〇一号は、前記のように公共の福祉に反するものと考えられた所謂八・七ストを回避すると共に公務員の争議行為を防止するために改正国家公務員法が成立するまでの暫定措置として制定せられたものでやむを得ない緊急措置であり、且つ法律と同一の効力を有するもので、憲法並にポツダム宣言に違反しない有効のものである。この点に反する弁護人並に被告人等の主張は、全く理由がない。

次に被告人等並に弁護人は、被告人等が職場を離れたのは、国家公務員法改悪反対、政令第二〇一号反対闘争のためであつて、労働者の待遇改善その他労働條件の改善要求のためのものでないから、政令第二〇一号に所謂争議手段とは解されない、又被告人等の行為は、現実には、業務の運営能率を阻害しなかつたと主張するにつき、この点を案ずるに、政令第二〇一号第二條に所謂「業務の運営能率を阻害する争議手段」とは、その企図するところが、労働條件の改善たると将又国家機関又は地方公共団体に対する何等かの紛争に於ける労働者側の主張たるを問わず、その主張を貫徹することを目的として為す闘争手段は、すべて争議手段と解さねばならない。その目的に於て、又その手段に於て労働関係調整法第七條に所謂争議行為よりは廣い範囲内に於て、国又は地方公共団体の業務の運営能率を現実的に阻害する争議手段が禁止せられているものと解することができる。又被告人等の所為は、判示認定のように、約四十名の職員中、十五名の青年部員が、政府に対する闘争手段として集団職場放棄をしたものであつて、そのために他の詰所員の応援や残留者の超過勤務をやむなくさせ、業務の一部の遅延を来たしたのであるから、被告人等の所為は、明かに業務の運営能率を阻害する争議手段をしたことになり、論旨は理由がない。

法律に照すに、被告人等の判示所為は、国家公務員法第一次改正法律附則第八條昭和二十三年政令第二〇一号第二條第一項第三條刑法第六十條に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内で、被告人六名を何れも懲役四月に処するが、情状刑の執行を猶予するを相当と認め、刑法第二十五條に則り、本裁判確定の日から、何れも参年間、右各刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法施行法第二條旧刑事訴訟法第二百三十七條第二百三十八條により、被告人等の連帯負担とする。

よつて、主文の通り判決する。

(裁判長判事 堀内齊 判事 鈴木正路 判事 赤間鎮雄)

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